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福岡地方裁判所 昭和47年(ワ)749号 判決

原告

坂本芳夫

右訴訟代理人

小島肇

小泉幸雄

被告

株式会社福岡相互銀行

右代表者

四島一二三

右訴訟代理人

江頭鉄太郎

主文

一  被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和四六年一二月一七日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。ただし、被告が金三〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

主文同旨の判決と仮執行の宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和四六年一二月一〇日現在、被告銀行井尻支店に対し、普通預金債権金一一六万九七一円を有していた。

2  そこで原告は、同日一六日、被告に対し、自己の右預金から金一〇〇万円の払戻を請求した。

よつて原告は被告に対し、右預金債権に基づき金一〇〇万円およびこれに対する払戻請求の翌日たる昭和四六年一二月一七日から支払ずみまで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

全部認める。

三、抗弁

被告は、昭和四六年一二月一〇日、被告銀行井尻支店に、請求原因1の普通預金の通帳及び届出印鑑を持参し、払戻請求をする者があつたので、この者に対して金一〇〇万円を払戻した。そしてその払戻は次のとおり善意かつ無過失によるものであるから、民法四七八条により債権の準占有者に対する弁済として有効である。

(1)  大量の顧客を取り扱う銀行実務においては、預金通帳と届出印を押した払戻請求書を提出させ、その印影と届出の印鑑とを照合して同一であると認めたときは、払戻請求者が何人であるかを確認することなく払戻に応じているのが一般であり、被告銀行の場合も同様である。そして、本件の場合も右の手続に従つて払戻に応じたのであつて、払戻事務を担当した女子行員に過失はない。

(2)  なお、被告銀行の行員で原告の得意先係たる室井則文(以下室井という)は、原告の妻よりかねて土地の購入方の相談を受けており、又、同女から土地の購入は見合わせるとの話も聞いていたが、一旦見合わせても再度土地の購入を思いたつ等のことは異とするに足りず、本件の払戻請求がなされた際、室井が原告方で改めて土地を買うことになつたのではないかと考えても不思議ではないが、それはともかくとして、同人は右の預金払出事務を担当した者ではない。

従つて、原告の本件預金債権は消滅した。

四、抗弁に対する認否

抗弁事実のうち、被告がその主張の日時・場所において、請求原因1の普通預金の通帳及び届出印鑑を持参した払戻請求者(訴外窃盗犯人某)に対し、右預金から金一〇〇万円の払戻をしたことは認めるが、右の払戻を担当した者には、その払戻に関し、次のような重大な過失がある。

(1)  被告銀行の行員たる室井は、原告の得意先係として原告宅に度々訪問し、原告の家族構成はもちろんのこと、原告が預金を払戻す場合は、ほとんど原告の妻静子があたつており、静子以外の原告の家族があたる場合には、常にあらかじめその旨電話していたこと、又、原告のこれまでの一回の預金払戻金額は、最高五万円程度であつたこと等の事情を十分知つていた。

そのうえ、本件払戻の六日前の昭和四六年一二月四日、原告の妻静子は被告銀行井尻支店に行き、室井に対し、「本年中は金の出入はしない」旨告げていた。

ところが、同月一〇日、訴外窃盗犯人某より、被告銀行井尻支店の窓口事務担当の女子行員に対して金一〇〇万円の払戻請求がなされ、同女子行員は、右払戻金額が多額なことから、得意先係の室井に相談したのに対して、同人は、前記のような事情があるにもかかわらず、請求者に対し、身分証明書・委任状等の提示を求めるとか、原告本人に直接確認するとか等の措置をとることなく、漫然と請求者の言葉を軽信して払戻をなしたものである。

従つて、預金通帳と届出印鑑を持参する者に対する払戻であつても、右のとおり払戻に関し担当者に重大な過失があるから、訴外窃盗犯人某に対する払戻は、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済とはならない。よつて、被告が原告に対する預金の支払を免責されることはない。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因事実については、当事者間に争いがない。

二そこで抗弁について判断する。

(一)  昭和四六年一二月一〇日、被告銀行井尻支店において、請求原因1の普通預金の通帳及び届出印鑑を持参した払戻請求者に対し、右預金から金一〇〇万円の払戻をしたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、右払戻請求をした者は、訴外窃盗犯人某であり、同人は、払戻当日福岡市南区大字五十川二五五番地の三の原告の住居に侵入し、屋内を物色して前記普通預金通帳及び届出印鑑を窃取し、それらを持参して被告銀行井尻支店に赴き、午後一時過ぎころ同店においてそれらを使用して前記のとおり払戻を受けたものであることが認められる。

(二)  ところで、銀行業務においては、普通預金の払戻にあたつて、払戻事務の円滑かつ迅速な処理を図るため、払戻請求者の権限確認方法を定型化し、預金通帳と届出印を押した払戻請求書を提出させ、その印影と届出の印鑑とを照合して同一であると認めたときは、払戻請求者が何人であるかを確認することなく払戻に応じているのが一般である。そして、〈証拠〉によれば、被告銀行の場合も同様であることが認められるところ、このような扱いは一般に承認されているところである。

従つて、右のように預金通帳と届出印を押した払戻請求書を提出させ、その印影と届出の印鑑とを照合して同一であると認めて払戻に応じたときには、たとえそれが権限のない者に対する払戻であつたとしても、銀行取引上通常要請される注意義務を尽したものとして、原則として、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済として有効であると解するのが相当である。

しかし、銀行が払戻請求者が無権限であることを知つていたり(悪意の場合)、また他の具体的事情によつて払戻請求者が無権限であることを疑うべき相当の理由があるのに、その無権限に気づかずに払戻に応じたとき(過失がある場合)には、その払戻を有効とすべき理由はなく、そのような場合は、債権の準占有者に対する弁済として銀行が免責されることはないと解すべきである。

(三)  そこで、被告銀行の本件払戻につき悪意または過失があつたか否か検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

訴外窃盗犯人某は、被告銀行井尻支店を訪れ、普通預金窓口に行つて、坂本芳夫名義の前記普通預金通帳と坂本芳夫の氏名を記載し同人の印鑑を押し、払戻請求金額を一〇〇万円と記入した普通預金払戻請求書とを同窓口の係員吉村愛子に提出し、同係員から番号札を受取つた。

右係員吉村愛子は、右払戻請求のあつた預金について印鑑照合と通帳の確認をした後、預金通帳に印字するためのオペレーターの作業をすませた。そして、被告銀行では五〇万円以上の払戻請求がある場合には役席者が検印のうえ払戻請求者に面接する習わしであつたところから、同係員は、普通預金通帳と払戻請求書とを役席者である大橋俊昭に提出した。

右大橋俊昭は、提出された払戻請求書に検印し、払戻請求者に会おうとしたところ、折から原告の得意先係たる室井則文が外勤より帰つてきたので、室井に対し払戻請求書を渡し、請求者に面談するように命じた。

そこで室井則文は払戻請求者に面談したところ、請求者は原告あるいは原告の家族の者ではなく、あせたカーキ色の作業衣上下を着た一見人夫か大工風の初対面の第三者であることがわかつた。室井は、原告が預金を払戻す場合はほとんど原告の妻があたつているのを知つていたことから、「奥さんは」と聞くと請求者は「ちよつと……」と言つてはつきり答えなかつた。そこで室井は、以前より原告から土地の購入方の相談を受けていたので土地の売主が代わりに払戻に来ているものと思い、「土地でも買うのですか。」と尋ねたところ、請求者は「土地代金で自分がもらわんといかん金だ。」といつた趣旨のことを答えた。

しかし、室井は、本件払戻の起こる六日前の昭和四六年一二月四日、原告の妻から、土地の購入は見合わせる旨聞いていたので不審に思い、原告に電話で確かめようとして請求者を待たせ、一応、出納係の香月洋美に現金一〇〇万円の用意をさせ前記普通預金通帳と払戻請求書を預けてから、原告方に電話をかけた。原告方には三回電話をかけたが、原告方は留守でいずれも電話には出なかつた。

一方、室井が原告方に電話をかけている間に、窃盗犯人某は前記普通預金窓口に行き、印鑑照合、番号札の確認をした出納係の香月洋美から普通預金の払戻(金額一〇〇万円)を受けており、室井が電話をかけ終つて窓口に戻つた頃には、右窃盗犯人某は既に被告銀行から立ち去つた後であつた。

なお、原告方が盗難の被害にあつたのがわかつたのは、本件払戻がなされた後、室井則文が原告方を訪れた当日午後一時二〇分ごろである。従つて、被告銀行井尻支店従業員は払戻当時右盗難の事実を知らず、窓口事務を担当した吉村愛子、香月洋美の両名はいずれも本件払戻請求者を原告本人であると思つて払戻請求に応じたものである。

およそ以上のような事実が認められ、右認定事実によれば、本件払戻の担当者はいずれも払戻請求者が払戻権限を有しないことを知らなかつたことが認められ、これによれば右担当者らはいずれも払戻につき悪意も過失もなかつたことが認められる。

しかし、払戻請求者に直接面談した室井則文については、①払戻請求者は原告あるいは原告の家族の者ではなく、あせたカーキ色の作業衣上下を着た一見人夫か大工風の初対面の第三者であることを知つていたこと、②原告が預金を払戻す場合はほとんど原告の妻があたつているのを知つていたこと、③室井が請求者に対し、「奥さんは」と聞いたところ請求者は「ちよつと……」と言つてはつきりした答えをしていないこと、④室井は以前より原告夫妻から土地の購入方の相談を受けていたが、本件払戻の起こる六日前、原告の妻から土地の購入は見合わせる旨聞いていたこと、⑤それにもかかわらず払戻請求金額が一〇〇万円にものぼること。などの事実から、同人としては払戻請求者が正当な権限を有する者であるか否かを疑うべきであつたと認めざるをえない。

しかるに、室井則文は以上の事実があるにもかかわらず、払戻請求者が正当な払戻権限を有する者であるか否かの確認をするための何らの措置もとることなく、又、出納係の香月洋美に対し、支払をしばらく控える等の指示を与えることもしなかつたのは過失があるといわざるをえない。

ところで被告は、室井は本件払戻事務を担当した者ではない趣旨の主張をしているが、前認定のとおり、被告銀行では五〇万円以上の払戻請求があつた場合は役席者が検印のうえ払戻請求者に面接する習わしであつて、本件一〇〇万円の払戻に際しては、室井は役席者大橋俊昭の命により払戻請求者に面談したというのであるから、同人もまた被告銀行の本件払戻事務に関与したということができるのであり、同人の過失は、とりも直さず、本件払戻事務処理上における被告の過失と評価すべきものであり、被告のこの点についての右の主張は失当である。

(四)  そうだとすると、被告銀行の訴外窃盗犯人某に対する払戻は債権の準占有者に対する弁済としての効力を認めるわけにはいかず、原告の本件預金債権が消滅したということもできない。よつて、この点に関する被告の抗弁は採用できない。

三よつて、原告の被告に対する本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言及び同免脱宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(井野三郎)

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